立夏のヨガとギフト
実家から徒歩でスタジオへ行ってきました。
育児の疲れは仕事や運動のそれとは少し趣が違うようで、
動いても肩や腰に張りを感じたり、
子どもと公園で走っても眠りが浅かったり、
気持ちよく活動限界を迎えてスヤスヤ休む娘を横目に
気休めのストレッチをとってつけたように始める夜。
日常と線を引けるスタジオはやはりいいな、と思うのです。
呼吸を深めて流動的に動き、決して静的ではないのに
どんどん集中力は増して瞑想的になっていく…
ヨガをはじめた時、この魔法のような時間をとても好きになりました。
そして動きを止めた時、ごくたまに「あるフレーズ」が落ちてくるのです。
【肯定したい】
今日のシャヴァーサナ、このひとことが浮かびました。
最近の私は他人をジャッジしてしまう自分を受け入れるのに抵抗がありました。
比較して自分の安心を気軽に得たい。
瞬間的に他人を否定的に見てしまうことも。
そのたびに自分の心の動きに眉をひそめていました。
「肯定したい」というのは、まさに今の私の心の声で願いでしょう。
他人も肯定したい、自分も肯定したい。
そして2年前の同じ季節にもそれはありました。
【もう許そう】
許したいのに上手く許せない相手がいたのでしょう。
スタジオで日差しをうけて妊婦の私は少し汗ばみながら、心はひたすら静かで、このフレーズを受けとりました。
生活をして、たくさんの人と関わって、たまに肩書きを使い分けて…
本心は知っているつもりでも蓋をしたまま忘れてしまうことも多いのかも知れません。
ある日こうして奥の方からの声をギフトのように受けとる。
まるで自分と本当の会話をするように。
いつもらえるのか、何がもらえるのか、期待はしないことがコツ。