バタ足と瞑想
会員制スポーツクラブに通っていた十数年前、
流行りのパワーヨガやビンヤサヨガのレッスンを終えるとそのまま併設のプールへとはしごするのが定番でした。
水に入ると、そのまま1200mノンストップで泳ぎました。
これで何となくその日の調子がつかめるのです。
終わるや否やバタ足を1000m、これが当時のルーティンでした。
身体の各部位を鍛えるというよりは何かに集中して没頭したかった事がうかがえます。
バタ足をしていると、
波立つ水と自分の呼吸の音が一定のリズムを刻みながら耳に届きます。
その音を特別集中して聞くでもないのですが、次第に世界はその音だけになり、さらにはその音すら小さくなる。
でも絶えず聴こえてはいるのです。
心拍はそれなりに上がり一定を保ちながらも、気持ちはどんどん鎮まります。
はじめの200mくらいまでは考え事がポツリポツリと浮かぶけど、浮かんできても掴まなくなり、やがて浮かぶことも無くなっていく。
1000mを終えてその足を止めたとき、時間の経過も忘れているような不思議な感覚がいつもありました。
あれは瞑想だったんだな。
当時は知識も経験もなく、瞑想といえば座って静かにするものだと思っていました。
ただ自分の呼吸があるだけの世界、
身のまわりの色々なものが振り払われた世界、
考え事が止んだ世界というのはそういう方法でしか手に入れる術を知らず、生活のなかでその時間が必要だったことを覚えています。
泳いだり…、絵を描いたり…、ヨガをしたり…、好んでしてきたアレコレだけど、どれも瞑想的な時間を含んでいたと気づいたのは最近のことです。
仕事に忙しく、友人との会食に忙しく、物をたくさん買い、本や雑誌にたくさん目を通していた頃、自分から情報を得に行っていたのに、その情報を振り払わないとどうにも過ごせなかった。
今は生活環境も変わり、そのどれもが当時の3分の1くらいの量になりましたが、瞑想のような時間はやはり必要です。
瞑想というと堅苦しくて、難しそうで、聞くだけでソワソワしてしまう人も多いでしょう。
そういう方には何かほかの方法が近道になるように思います。
とても自分に近い、慣れ親しんだ方法で。
時に動きながら、時に静かに座りながら、繰り返しの動作や呼吸に気持ちが集中して不思議と心の休まる時間があるなら、それが瞑想の一歩かも知れません。